
| 報告書番号 | MA2012-3 |
|---|---|
| 発生年月日 | 2011年10月27日 |
| 事故等種類 | 乗揚 |
| 事故等名 | 漁船富榮丸乗揚 |
| 発生場所 | 福岡県福岡市能古島西岸 能古島灯台から真方位218°840m付近 |
| 管轄部署 | 門司事務所 |
| 人の死傷 | |
| 船舶種類 | 漁船 |
| 総トン数 | 5~20t未満 |
| 報告書(PDF) | 公表 |
| 公表年月日 | 2012年03月30日 |
| 概要 | 本船は、船長ほか4人が乗り組み、平成23年10月23日21時00分ごろ山口県萩市萩漁港を出港し、長崎県対馬市上島北東方沖の漁場において、あまだいはえ縄漁の操業を行い、27日16時00分ごろ操業を終えて同漁場を発進し、福岡市博多漁港に向けて帰途についた。 船長は、20時00分ごろ単独で船橋当直に就き、操舵室中央で椅子に腰を掛け、GPSプロッターと1.5海里(M)レンジとしたレーダーを使用し、速力約9ノットで自動操舵により福岡市志賀島西方に向けて南進した。 船長は、23時過ぎに志賀島の北西方沖に設置されたシタエ曽根灯浮標の灯光を確認したのち、志賀島の西岸沿いを南東進した。 船長は、志賀島南西方沖で能古島の東方沖に向ける針路とすることにしていたが、志賀島南西方沖で大型船2隻と行き会う状況となり、また、目視及びレーダーにより福岡湾内で小型底びき網漁船が多数操業しており、予定進路付近にも操業漁船がいたので、23時38分ごろ針路を約170°(真方位、以下同じ。)として操業漁船がいない能古島の北西方沖に向け、同島北端から約0.3~0.5M(以下「変針予定場所」という。)のところで同島東方沖に向ける針路に変針することにし、自動操舵により航行した。 船長は、操業中の睡眠不足と疲労が溜まった状態であった上、前方に操業漁船がいなかったことで気が緩み、眠気を催すようになったものの、椅子に腰を掛けて当直を行っていたところ、針路を約170°として間もなく居眠りに陥った。 船長は、変針予定場所に達したことに気付かず、同場所を通過して能古島の西岸に向けて航行し、23時48分ごろ同島西岸に乗り揚げた。 本船は、日出から19時ごろまでの間に3回の縄入れ及び縄揚げを行い、夜間は操業せずに錨泊していた。 船長は、操業中は操舵室で操業を指揮するとともに操船を行い、夜間の錨泊中には操舵室で仮眠をとることにしていたが、平成22年に航行中の外国船が2度も錨泊中の本船に衝突したことから、仮眠中に何度も起きてレーダーや目視で周囲の状況を確認しており、本事故当時、ふだんの1週間連続の操業よりも短い4日間の操業であったものの、睡眠不足と疲労が溜まった状態となっていた。 船長は、27日16時00分ごろ漁場を発進してから20時00分ごろに当直に就くまでの間、食事をとったのち、横になってうとうとしていたが、仮眠をとるまでには至らなかった。 船長は、ふだんの当直中に眠気を催したときには、外気に当たったり、コーヒーを飲んだり、ガムをかむなどして居眠りしないようにしていたが、本事故時は椅子に腰を掛けた状態で当直を続けていた。 船長は、乗り揚げた衝撃で目が覚め、本船が停止しており、前方に島影が見えたので乗り揚げたことに気付き、機関を後進として離礁を試みたが、離礁することができなかった。 船長は、海上保安庁に事故発生を通報し、翌28日乗組員が巡視船に救助された。 本船は、サルベージ船により離礁して応急修理を行ったのち、僚船にえい航されて29日22時00分ごろ萩漁港に帰港した。 |
| 原因 | 本事故は、夜間、本船が、能古島北方沖を自動操舵で南進中、単独で船橋当直中の船長が居眠りに陥ったため、変針予定場所を通過して能古島西岸に向けて航行し、同島西岸に乗り揚げたことにより発生したものと考えられる。 |
| 死傷者数 | なし |
| 勧告・意見 | |
| 情報提供 | |
| 動画(MP4) | |
| 備考 |
本報告書の調査は、本件船舶事故に関し、運輸安全委員会設置法に基づき、運輸安全委員会により、船舶事故及び事故に伴い発生した被害の原因を究明し、事故の防止及び被害の軽減に寄与することを目的として行われたものであり、事故の責任を問うために行われたものではない。
本報告書の調査は、本件船舶インシデントに関し、運輸安全委員会設置法に基づき、運輸安全委員会により、船舶事故等の防止に寄与することを目的として行われたものであり、本事案の責任を問うために行われたものではない。
報告書の本文中「3 分析」に用いる分析の結果を表す用語は、次のとおりとする。