−港内で発生した海難のいろいろ−

〜錨のスタンバイ中、錨が走出〜
(アスファルトタンカーK丸海底電線損傷事件から)
発生日時、場所 : 11年1月10日08時30分 三重県四日市港第1航路
気象、潮汐    : 曇、西南西風、風力4、上げ潮の中央期
海難の概要
 K丸(695総トン)は、A船長ほか5人が乗り組み1月9日四日市港に停泊していたところ、翌10日会社から荷役の予定が入り、08時00分A船長は、B一等航海士及びC次席一等航海士を船首配置に付けて自ら操舵操船に当たり、揚錨を開始して、同時10分機関を4.0ノットの極微速力前進として石油積荷桟橋に向かった。
 ところで、A船長、B一等航海士及びC次席一等航海士は、前年12月に揚錨機両舷のブレーキライニングを新替えし、まだ十分に馴染んでなく、締め付けたブレーキが過重によって緩むおそれがあることを知っていた。
 揚錨後まもなく、B一等航海士は、積荷書類を用意するため、船首を離れ自室に赴いた。
 C次席一等航海士は、通常の作業どおり右舷錨をブレーキのみでコックビルの状態とし、通常の力でブレーキを締め付け、クラッチを外して同錨の投下準備を終えた。その後、着桟までに用便を済ませ、自室にある防寒衣を取ってくるため、一時船首を離れることとしたが、すぐに戻るとし桟橋まで近いので、ブレーキが緩むことはあるまいと思い、制鎖器を下ろして錨鎖の走出を防止せず、A船長に一時船首を離れることを告げないまま居住区に赴いた。
 A船長は、C次席一等航海士が居住区に赴くのを認めたが、通常、錨鎖走出を防止するため制鎖器を下ろしていたことから、あえてその指示をしなかった。
 K丸は、原速力で進行中、08時17分頃から右舷揚錨機のブレーキが緩み、錨の重量によって錨鎖が徐々に船外に走出し始め、やがて海底に達して右舷錨を引きずる状態となった。
 08時25分A船長は、速力が普段より遅いことに気付き、B一等航海士に船首配置に戻るよう指示し、同人から、右舷錨鎖が走出して錨が後方に張っている状態であることを報告された。
 A船長は、第1航路の航行地点付近には、海底電線が敷設されていることも知っていたが、突然のことでそのことに気が及ばず、08時28分直ちに機関を後進にかけて行きあしを止めたものの、荷役開始時刻が気になったことと、航路内であったこともあって気が焦り、錨の位置を確かめないまま、揚錨を命じて錨鎖を巻き込み中、同時30分海底電線を引っ掛けて、これを切断した。
 その結果、陸上から四日市港東防波堤南灯台への電力供給が停止した。
海難原因
 本件海底電線損傷は、揚錨機のブレーキライニングを新替えして、当たりが馴染まずブレーキが緩むおそれがあったので、錨のスタンバイ中、制鎖器を下ろすなどの錨鎖走出を防止する措置が十分でなかったことによって発生したものである。
人的要因
 人の行動及び業務遂行能力に直接、間接の影響があったいくつかの要因を示すと次のようになる。
本件から得た教訓
 港内や狭い水道には、海底電線、水道管等が敷設されていることが多く注意が必要です。これらの損傷事故は復旧に時間がかかることもあり、その影響が大きく、一般の人々の生活に多大な危険や不便を与えます。

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