特集 方位標識が設置されている付近で発生した乗揚海難 

 “ブイ”や“灯標”のような海上に設置されている航路標識のうち「方位標識」は、「浮標式」の世界的な統一を契機として1983年(昭和58年)に我が国でも初めて導入された標識で、現在まで約20年を経過しており、灯台表第一巻(海上保安庁平成14年3月刊行)によると約120基が全国に設置されています。 

 

 

灯浮標(北方位標識)を認めたが、方位標識を理解せず乗り揚げた事例
(押船T丸被押台船乗揚事件から)
発生日時、場所: 平成12年12月19日02時50分 山口県大畠瀬戸
気象等: 晴、北東風、風力2、潮流は憩流時
海難の概要
 T丸(204総トン)は、船長(三級海技士(航海)(旧就業範囲))、航海の免許を有する一等機関士ほか5人が乗り組み、海砂6,400トンを積載した台船(4,405トン)を船首部に結合した押船列として、12月18日17時40分山口県防府市佐波川河口を発し、同県大島郡乙子島に向かった。
 船長は、大畠瀬戸の通航経験がなかったので、過去1度だけ通航経験のある一等機関士に操舵をさせることとした。
 翌19日02時30分船長は、大畠瀬戸通航中の操船指揮を執るつもりで昇橋し、操舵に当たる一等機関士の操舵模様を見守った。
 02時33分両人は、北方位標識である戒善寺礁灯浮標の灯火を初認し、02時44分同浮標が左舷船首10度980メートルになったとき、一等機関士は船長に対して同浮標のどちら側を通るか尋ねたところ、どちら側も通ることができるとの指示を得て、同灯浮標の南側を航過するつもりで続航中、押船列の台船が浅礁と暗岩に乗り揚げた。 
海難原因
 本件乗揚は、夜間、大畠瀬戸を東行する際、水路調査が不十分で、北方位標識である戒善寺礁灯浮標の北側を航行せず、戒善寺礁の浅礁と暗岩とに向かって進行したことによって発生したものである。
 
 
見えた灯浮標(北方位標識)を安全水域標識と思い込んで乗り揚げた事例
(引船M丸引船列乗揚事件から)
発生日時、場所: 平成11年8月19日09時15分 山口県大畠瀬戸
気象等: 晴、風ほとんどなし、潮候は上げ潮の初期
海難の概要
 M丸(178総トン)は、船長(三級海技士(航海))ほか3人が乗り組み、空倉の土運バージ(620トン)を引き、8月18日23時10分関門港を発し、山口県岩国港に向かった。船橋当直に立った船長は、手動操舵として6ノットの半速力で進行中、山口県大畠瀬戸に差し掛かった時、同瀬戸西側入口の戒善寺礁灯浮標(北方位標識)を認めたが、同浮標を航路の中央を示す安全水域標識と思い込み、前方の漁船群を避けるため同浮標の南側を航行したところ浅礁に乗り揚げた。
海難原因
本件乗揚は、大畠瀬戸を航行する際、水路調査不十分で、北方位標識である戒善寺礁灯浮標の北側を航行せず、同瀬戸の浅礁に向首したことによって発生したものである。

 

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