第拾雄洋丸 :


パシフィック アレス

発生日時場所:
気象海象:
油送船 43,723トン 全長227.1m 38人乗組み 
ナフサ,プロパン,ブタン 合計47,476キロトン
サウジアラビア王国ラスタヌラ → 京浜港川崎区(進路警戒船1隻を配備,水先人なし)
貨物船(リベリア籍) 10,874トン 全長154m  29人乗組み(台湾)
鋼材 14,835トン 木更津港 → アメリカ合衆国ロスアンゼルス (水先人なし)
昭和49年11月9日13時37分少し前 東京湾中ノ瀬航路北口
曇 北北東風 風力3 視程約2海里(もや) ほぼ高潮時 西南西流約0.3ノット
海難の概要
 もやのため視程約2海里となった東京湾において,第拾雄洋丸は,進路警戒船を配備して中ノ瀬航路を北上中,また,パシフィック アレスは,木更津航路で水先人を下船させた後,同航路を出て中ノ瀬航路北口付近に向く針路で西行中に衝突し,第拾雄洋丸の積荷に引火して両船が炎上した。
 この衝突で,第拾雄洋丸の乗組員5人とパシフィック アレスの乗組員28人が死亡した。
  
航路出入口での危険性が現実のものに
 航路出入口付近においては,交通流が収束・発散し,複雑な見合い関係が発生するため,衝突の危険性が高いところですが,この衝突は,その心配が現実のものとなったと言えます。
 この海難を契機に,3か月後には木更津港沖灯浮標が設置されて同灯浮標を左舷側に見て通過する航法指導が行われ,さらに,昭和52年には,東京湾で1万トン以上の船舶が強制水先となり,また,東京湾海上交通センターが運用を開始するなどの各種航行安全対策が強化され,加えて海上交通安全法の航法が定着したことと,それに,何よりも船舶運航者の安全意識が高まったことなどにより,その後は,航路及び出入口付近では大きな海難は発生していません。

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