−港内で発生した海難のいろいろ−

(貨物船M丸橋桁事件から)
発生日時、場所 : 12年5月17日07時00分 大分県鶴崎泊地
気象、潮汐    : 曇、風ほとんどなし、高潮時(潮高約196センチメートル)、視界良好
海難の概要
 M丸(199総トン)は、船尾船橋型の鋼製貨物船で、船長、機関長2人が乗り組み、原塩600トンを積載し、5月16日11時45分広島県安芸郡音戸町を発し、大分港鶴崎泊地に向い、19時頃時間調整のため鶴崎泊地の鶴崎東岸壁に係留した。
 ところで、船長は、通常は甲板員として乗り組んでいたが、父親が休暇下船したため臨時に船長職に就いたものの、離着岸操船が不慣れであったことから、約2年半の船長経験のある機関長に港内操船を委ねていた。
 また、船長及び機関長は、3か月前に目的地である奥部の専用岸壁に今回と同様に原塩600トンを輸送した経験があり、途中の家島橋の桁下高が16メートルであることを知っており、さらに、翌17日出航前の潮高からほぼ大潮時であることを知ったが、前回と同様に家島橋を通過することができるものと思い、備え付けの一般配置図及び潮汐表により、マスト高と潮高を調査しなかった。
 午前6時50分船長は、機関長に操船を委ね、自らは甲板上で離岸作業に就き、後部マストが橋桁下端よりも少し高い状態となっていることに気付かず起倒式の後部マストを倒さないまま、鶴崎泊地最奥部の専用岸壁に向けて2.5ノットの速力で、手動操舵により港内移動を開始した。
06時59分半操船に当たっていた機関長は前部マストが、家島橋の橋梁下に入った時、高さが気にかかり、一旦機関を微速力後進にかけ、中立に戻して前進惰力で進行中、07時00分原針路及び約2ノットの速力で、M丸の後部マスト先端部が家島橋中央部橋桁に衝突した。
 衝突の結果、M丸は、後部マスト先端部を曲損、マスト支持索を折損して、家島橋は、中央部に損傷を生じ、標識板が曲損した。
海難原因
 本件橋桁衝突は、マストと橋桁との間隔の確認が十分でなかったことによって発生したものである。
 運航が適切でなかったのは、船長が、後部マストと橋桁との間隔を確認しなかったことと、操船を委ねられた機関長が、船長に対して同間隔を確認するよう進言しなかったばかりか、自らも確認しなかったことによるものである。
本件から得た教訓
・船長及び機関長は、「前回家島橋を通過した時は、低潮時であったが後部マストを見ていて橋桁との間隔に十分な余裕があるように見えた。」との経験が、間隔を確認すべき義務を怠った要因となっている。
・橋梁下の通航に当たっては、潮汐を調査し、必要であれば潮待ちするなど、十分な余裕をもった航海計画を立てる必要がある。
・なお、本件の場合、当時船内に一般配置図と潮汐表が備え付けられていたのであるから、後部マストと橋桁との間隔を確認し余裕を持って航過できるよう、油圧起倒式である後部マストを適切に調整すべきであった。

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